▼目次
1.脱炭素時代の広告業界のあるべき姿
【地球沸騰化の時代、広告業界に求められる変革】
脱炭素への対応は、いずれ避けて通れないテーマだと感じつつも、日々の業務と直結しきれていない——広告業界には、そうした感覚が少なからずあるのが実情ではないでしょうか。
近年、地球温暖化に起因する気候変動の影響は世界各地で顕在化しています。国連のグテーレス事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した」と発言したことも記憶に新しく、脱炭素への対応は、現在進行形の社会課題として認識されつつあります。
こうした動きは広告業界にも及んでいます。海外では、メディア、コンテンツ、イベントといった広告に関わる領域でも、環境負荷を意識した取り組みが各国で進められています。「Ad Net Zero」や「AdGreen」など、業界横断での枠組みづくりが欧米を中心に着々と進化しており、カンヌ・ライオンズをはじめとする国際的な広告賞や業界イベントでも重要なテーマとして扱われています。
こうした海外の動向を背景に、日本においても、広告業界としての対応を模索する動きが広がり始めています。
【なぜ今、広告業界が取り組むのか】
では、なぜ広告業界が脱炭素に向き合う必要があるのでしょうか。大きな背景の一つに、広告主企業を取り巻く環境の変化があります。近年、多くの企業がサプライチェーン全体で温室効果ガス排出量を管理・削減するScope3への対応を進めており、広告領域は広告主企業にとってはScope3に該当します。特に、2027年以降は時価総額3兆円規模の企業を対象にScope3排出量の開示が求められる予定となっており、広告制作やキャンペーン、イベントといった広告関連活動に伴う排出量も、その算定対象として含まれていくことになります。

また、生活者や投資家をはじめとするステークホルダーの意識も変化しています。調査結果にも示されている通り、カーボンニュートラルに積極的に取り組む企業は、企業としての信頼や評価が高まり、商品・サービスの選択や中長期的な企業価値にも影響を与えることが示されています。こうした中で、脱炭素やサステナビリティへの取り組みは、企業として生き残っていくための重要な条件になりつつあります 。

こうした中で広告業界は、広告に関わるCO2排出量を可視化し、削減に貢献できる仕組みを業界全体で整えることで、日本およびその他の地域におけるマーケティング活動に起因する気候変動課題に対応していく必要があります。加えて、企業の取り組みや姿勢を社会にわかりやすく伝え、理解や行動につなげていく役割を担っている点も、広告・コミュニケーションのプロフェッショナルとしての重要な意義です。広告領域の脱炭素化に取り組むことは、社会や企業の経済的・社会的価値向上に貢献し続けるために、広告業界に求められている責務と言えるでしょう。
2.算定カリキュレーターの概要と実践
【なぜ「共通のモノサシ」が必要なのか】
広告業界の脱炭素に向けた第一歩として重要になるのが、排出量を「測る」ための共通の指標、すなわち業界共通のモノサシを持つことです。広告会社は、広告主企業にとってのサプライチェーンの一端を担っており、広告制作、キャンペーン、イベントなどのあらゆる領域でCO2を排出しています。しかし、これまで広告・映像制作には、CO2排出量を算定するための統一された基準が存在しませんでした。各社が独自の方法で算定すれば、数値の整合性が取れず、広告主も正しく評価ができません。
こうした考えのもと、一般社団法人 日本広告業協会(JAAA)、一般社団法人 日本アド・コンテンツ制作協会(JAC)、一般社団法人 日本イベント産業振興協会(JACE)とともに、広告制作やイベント等に関わるカーボン排出量を可視化・算出する「カーボンカリキュレーター」の共同開発を進めています。これは、映像、グラフィック、デジタルコンテンツなどの制作プロセスにおけるCO2排出量を、誰もが同じ基準で可視化するための業界共通の「モノサシ」です。脱炭素の取り組みにおいて最も重要なのは、「測って、減らす」というサイクルを回すこと。「カーボンカリキュレーター」はその最初の「測る」という一歩を踏み出すための基盤となります。

【業界連携で取り組む意義】
排出量を算定するための仕組みづくりは、各社が個別に競い合う競争領域ではなく、業界全体で協調して取り組むべき「協調領域」です。カーボンカリキュレーターは、広告・制作・イベント業界全体で活用される共通基盤として位置づけられます。協調領域として基盤を整えることで、排出量の可視化や議論の前提を揃え、業界全体としての取り組みを前に進めることが可能になります。
一方で、算定によって可視化された排出量をどのように削減していくかは、各社の創意工夫が発揮される「競争領域」です。制作手法の見直しや新技術の活用、削減・オフセットを含めた提案などを、各社がビジネスソリューションとして磨いていくことで、企業としての価値や競争力の向上につながります。
算定の仕組みづくりといった協調領域については業界全体で基盤を整え、排出量削減に向けた具体的な取り組みやソリューションについては、各社がそれぞれの強みを生かして推進していく。現在は、そのための基盤整備を進めている段階にあります。

【プロセス全体を可視化し、確実な「削減」につなげる】

「カーボンカリキュレーター」は、企画段階から撮影、編集、そして廃棄に至るまでの映像制作やイベント制作のワークフローの全プロセスにおけるCO2排出量を算出します。具体的には、スタッフの移動距離、撮影機材の電力、スタジオの使用エネルギー、ロケ弁の廃棄量、セット資材の種類など、制作に関わるあらゆる「活動量」を入力することで、排出量を自動的に算出する仕組みです。 例えば、「タクシーで10km移動したら2.2㎏-CO2」、「シングルルーム1泊だと6.4㎏-CO2」」といった具体的な数値が見えるようになります。
しかし、数値を出すこと自体がゴールではありません。測ることで「どこで多くのCO2が出ているか」を特定し、そこから具体的な「削減アクション」を実行することが目的です。
例えば、ロケ移動の排出が多いと分かれば、バーチャルプロダクションなどを活用して移動そのものを減らす検討ができます。美術セットの廃棄が多いなら、リサイクル素材の活用やリユースを考えるきっかけになります。
つまり、CO2排出量の算定は、制作フローの見直しを促し、結果として確実なCO2排出量の削減を実現するための手段なのです。こうした削減の取り組みをスタッフや関係者全体で共有し、さらに促進していくために、環境配慮型制作の指針となる「グリーンガイド」の制作も進めています。業界全体で「測り、減らす」というステップを浸透させてきたいと考えています。


【広告業界での実践事例】
先行する事例をいくつか紹介します。
映像制作の領域では、NHKの大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」における取り組みが挙げられます。同作では、バーチャルプロダクション(VP)を導入し、電通がカーボンカリキュレーターを活用して、計測を実施しました。VPは、巨大なLEDウォール等の最新技術を活用することで、従来のロケ撮影に必須だった移動や、大規模な美術セット製作・廃棄を縮小する技術イノベーションでもあります。仮にリアルセットを建てて撮影する場合と比較すると、セットの製作・廃棄や移動に伴うCO2排出量を大幅に削減(電通試算で75%削減)できることがわかりました。VPの活用により、ロケでも撮影できない世界観を創造し、その空間の中でお芝居をすることもできます。
またCM制作 においては、M&Aキャピタルパートナーズの事例で、バーチャルプロダクションを活用した温室効果ガス削減が実現しています。電通クリエイティブピクチャーズが、バーチャルプロダクション撮影とリアルロケ撮影のCO2排出量を測定・比較した結果、約1.8トンの削減が確認されました。大規模なロケ移動や美術セットを不要にすることで、表現の拡張性と環境配慮を両立する新しい撮影手法として、今後の普及が期待されています。
イベント領域においては、一般社団法人日本イベント産業振興協会(JACE)と加盟12社が連携し、博報堂プロダクツの炭素測定オンラインプラットフォーム「SUSTAINABLE ENGINE CARBONSIMULATOR」(※1)をベースとした、新たな「カーボンカリキュレーター」の開発に取り組んでいます。 これは、イベントの制作工程から廃棄までの過程におけるCO2排出量やリサイクル率を可視化出来るツールであり、現在実証実験が進められています。こうした測定に加え、JACEでは、持続可能なイベント運営を実践するための「使いやすいサステナビリティガイドブック 」(※2)も提供しています。
※1:SUSTAINABLE ENGINE CARBON SIMULATOR
株式会社博報堂プロダクツのプロジェクトチーム「SUSTAINABLE ENGINE」が提供する、イベント領域における CO2 の排出量を精緻に測定・可視化できる、炭素測定オンラインプラットフォーム。イベントの制作工程から廃棄 までの CO2 排出量やリサイクル率を詳細に算出し、環境配慮型イベントの計画を支援している。
https://www.h-products.co.jp/topics/entry/n/2024/06/24/140000
※2:使いやすいサステナビリティガイドブック
イベント・MICE(Meeting、Incentive Travel、Convention、Exhibition/Event)業界におけるサステナブル化を推進するべく、日本国際博覧会協会をはじめとする業界6団体が制作したガイドブック
https://www.jace.or.jp/news/20240920/
デジタル領域においても、AI技術の発展により、データセンターでの環境負荷が増大している一方、Googleなどのプラットフォーマーは既に自社サービスの脱炭素化を進めており、デジタル広告の配信に伴うCO2の可視化もグローバルな潮流となっています。
3.今後の展開
【カーボンカリキュレーターの実用化と普及に向けて】
今後は、広告・制作・イベント・マーケティング業界全体で連携しながら、カーボンカリキュレーターを、実際に活用できるように発展させていくことが重要になります。脱炭素への対応を一部の先進的な取り組みにとどめることなく、業界全体へと広げていくため、現在は算定の仕組みを現場で使いやすい形に整え、実装していく段階にあります。
特に制作領域では、2025年にベータ版のカーボンカリキュレーターを用いた検証やフィードバックを重ね、実際の制作フローや現場実務に即した算定方法の検討が行われてきました。これらを踏まえ、今後は算定精度の向上に加え、ガイドラインの整備や、継続的に活用していくための運用体制の構築を進めていきます。
また、2026年以降の本格的な活用を見据え、カリキュレーターを適切に扱う人材の育成や、各社における必要性の理解促進にも取り組んでいきます。広告会社や制作会社だけでなく、広告主企業とも対話を重ねながら、排出量算定の意義や活用方法への理解を広げ、業界全体での活用を促進していくことが求められます。
排出量の算定は一企業のみで完結するものではありません。共通の基盤を業界全体で活用しながら、広告主のScope3削減を支え、広告・マーケティング業界としての責任を果たしていくことが、今後の取り組みの方向性と考えています。
【執筆担当】
JAAA脱炭素化研究会
電通グループ 井上佳苗
博報堂DYホールディングス 中溝修平
