Column

つぶやき

 

本年7月に発生したに西日本豪雨により亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

前回『ひと・こと』を寄稿してから、早四年が過ぎた。その間、社会環境が一層激しく変化していることはいうまでもない。これまで我々が積み重ねてきた過去の経験値は、必ずしも未来への万能な指針にならず、新たな混沌の時代の訪れとも言えるだろう。中でも手のひらサイズの端末を通じて、一人ひとりの思いを世界中の人たちと簡単に共有可能になったソーシャルネットワーキングサービス、SNSの隆盛はその象徴のように思える。

 

もっとも最近「つぶやいて」いるのは若者だけではないらしい。聞き齧った話では、歩いている時も、食事をしている時も、随分な年配者が端末を操作し、自分だけのニュースを嬉々として発信しているという。なるほどそんな方々を街でよく見かけるようになった気もする。ほんの短いつぶやきや切り取られた風景は、瞬時にまだ見たことのない仲間たちの賛同やコメントを纏いながら広がって行くのだそうだ。

 

一方で、この豪雨の被災地では生死ぎりぎりの救助につながった数多くの「つぶやき」もあったとも聞く。既存メディアが競い合って磨き上げてきた情報の公平さ・正確さ・信頼性は個人発のそれより優位に立っていると信じてやまないが、数々のニュースで見せられた「つぶやき」の持つ拡散力と社会を動かしていく即効力は本当に目を見はらされた。

 

古くから日本では言葉の持つ霊的な力を言霊(ことだま)と称して敬ってきた。コピーというごく短い言葉だけで勝負する案内広告に長年身を置いてきた者としては、その可能性を再認識させてくれた「つぶやき」に感謝しつつも、単語の羅列や感情の発露だけではない先人から受け継いだ“本物”の言葉もしっかりと次代に伝えていきたいものだとあらためて思っている。

 

とこで私の家でも皆が盛んに端末を操り、家族同士や友人たちと「つぶやき」ながら、楽しそうにコミュニケーションをしている。驚くことに孫たちの指南を受けた家内もが、ついにその輪に加わったという。愚痴にもならないぼやきを「つぶやいて」いる私がその仲間に入るのは、どうもまだ先の話になりそうだ。

PR委員会担当理事

会報編集委員会担当理事

内藤好徳

(内藤一水社)