宇賀神 書き手にとっての意義について触れたいと思います。中西さん、伊藤さんは受賞経験者としてのお立場から、受賞して良かった点や受賞後の変化など、ありますか。
伊藤 皆さん一緒だと思いますが、自分の仕事とか仕事を通じて考えてきたことの非常に良い棚卸になります。
モヤモヤしていたものが、論文という形に落とし込むことによって初めて語れるものになる。思いだけだったらパワポでも出来るかも知れませんが、
思いだけでは論文は書けません。個人的な思いをどうやったら社会的な課題に転換できるか、この作業は非常に大変ですがやっておくととても良いです。色々な表現方法がありますが、論文という形式を堅持している良さはあると思います。
また受賞したことで、自分の作品内で引用させていただいた先生の研究会で発表したり、広告業界以外の方から読みたいという声をいただいたり、仕
事だけしていては広がらない縁に出会えたことが良かったです。
中西 書いて良かったと思うのは、一つのパッケージとしてまとめたことです。
感覚としては大学の卒論に近いというか、今自分が考えていることや、何となく答えを出したいなとモヤモヤ思っていることに対して、自分で問題を見つけて調べて書いて答えをひねり出した、その一連の作業を自分で行い論文の形に仕上げた、という経験は良かったですしこの作業は大事だと思います。
伊藤 私も何回か書いてきて思うのは、問いがあまり良くないと、書いても書いても良いものにならないということです。結論としては絶対的に良いことを書いていても、出発点の問いがふわふわしていると良いものにならない。良い問いを見つけている人、そういう人が集まっているのがこの論文なのかも知れません。書き手の立場から見た時に、自分の中に問いが澱のように溜まってくる時期がありますが、そういう人達が多い業界って良いなと思います。言われたことだけをやるんじゃなくて、自ら問いを立てて自分が解かなくちゃいけないんだと勝手に使命感を感じるような、そんな人達が増えてくると、良い業界、アクティブな業界になるんじゃないかなと思います。